日比的思考

~日比的思考~

第60回 日比的人生を振り返るpart5
人はこうして病んでいくんです編

さて、前回は僕がボーカルギターのバンドが始動したあたり、27歳くらいまでのお話でした。ちょっと時代は遡りますが、この時期、世間を賑わしていたのが「ノストラダムスの大予言」です。皆さん、覚えてますか~?都合の悪い事を忘れちゃ駄目ですよ~(笑)

あれはもう日本人全体の黒歴史としか言いようがない(笑)テレビで特集番組とかやってたもんなー。若い子は知らないかもしれないので、一応説明しとくと、1999年の7の月に恐怖の大王が降臨して世界が滅亡するっていうやつです。これけっこう信じてた奴も多くて、「俺、就職しないよ。だって1999

年にどうせ世界は滅亡するし。」とか、「貯金しても意味ないっしょ。だって世界は滅亡するんだし。」とか真顔で言ってる奴けっこういました。いや、本当にいたんだって(笑)90年代中盤くらいからの

流行語でしたね。あの時代のデカダンな空気はノストラダムスの大予言も関係してたんじゃないかと個人的には思ってます。いや、セブンにもいたからね(笑)ズルズルになってアウトになっても、「どうせ世界は滅亡するんだから関係ない。」とか言ってる奴(笑)

前もこのコラムで書いたことありますけど、何だったんだあれは?ってことが人生には多々あります。当然、1999年の7月に恐怖の大王が降臨することはなく、何事もなかったかのように世界は続きました。皆バカだったよな~。

バンド始動から1年ちょっとしたくらいでしょうか。クラブミュージックとJ-POPを混ぜ合わせた踊れるロックみたいな曲を思いつきました。今で言う4つ打ちロックと言われるやつですけど、あんなワチャワチャしたのじゃなくて、踊れる感じ。クラブでかけれる感じのJ-POP。タイトルは「ロックンロール」。これはけっこう手ごたえがあって、新しい武器を手にいれたなと思いました。2002年くらいの話ね。

で、初めてバンドに持っていったスタジオの日。ロビーのテーブルに僕が置きっ放しにしていた「ロックンロール」の歌詞を見たベースの高見君(後輩)が、一言。「これめっちゃ良い曲やん。」僕「それは今日披露する曲だから、まだ皆知らないやつだよ。」

高見君「いや、歌詞見ただけでわかる。」マジかと思いましたが、こんなやりとりがあり、歌詞&曲調共にメンバーに好評でした。ライブで披露すると、明らかにこの曲を演ってる時のオーディエンス(お客さん)からの熱量が違う。急いで予算5万円くらいで、「RAINBOW」といういつもライブで演ってたメロコアみたいな曲と一緒にレコーディングして、CD-Rにしてライブ会場で売り始めました。価格は広めたかったので200円。

もうめちゃくちゃ売れました。野外イベントとかで演奏すると、知らない外人が近寄ってきて「GREAT!!」と叫んで3枚買っていったり。この時期に一気にファンが増えました。しかし、ここで問題発生。

僕が適当に決めた200円という価格設定。裏方作業を全て引き受けていたキーボードの河野君からの報告で、原価を割っていると。

つまりは売れれば売れるほど赤字ってこと(笑)けどまぁライブがずっと黒字だったので、まぁえーやんとメンバーで納得しました。今更価格変更とかできんし。

ファンが増えたので、この時に初めてのワンマンライブ。例によって友達も総動員して(笑)、動員は220人。場所は大須のell.FITSALLでした。確かアンコールの時のMCで「ここにいる全員を武道館に連れていってやるよ!」とか言っていた気がします(笑)恥ずかしい!

たぶん、東京時代のダメージを克服して、自信を取り戻していたんだと思います。そのMCに誰からも突っ込みがなかったしね。

年齢は28歳になっていました。

渋谷、四日市でもライブ活動が始まりました。

この辺から怪しい大人達が近寄ってきては、調子良い話をして、気が付いたらいなくなっているという事が続きます。

完全な大人不信に陥った僕は、もう気心知れた人のレーベルから全国流通盤を出したいと思い、出演していた渋谷のライブハウスと提携しているインディレーベルからCDをリリースすることを決めました。

この時代のネット状況はユーチューブもウィキペディアもまだありませんでしたが、2ちゃんねるはもうありました。掲示板時代ですよね。

バンドのHPにも必ず掲示板がついていた時代です。で、2ちゃんねるに名古屋インディーズスレがあったのですが、「アフターザゴールドラッシュがデビューするらしい」、「メジャー?」、「なわけないやん」などと書かれるようになりました。

まぁこれは良いんですが、「ボーカルキチガイらしいね」、「主催イベントに友達が出た時にボッタくられたらしいよ」、「あいつジャンキーらしいね」などと、そのうち嘘ばっかり書かれて叩かれるようになって

しまったのです。えーだいぶメンタルが鍛えられましたよ(笑)ライブ会場でもファンは増えるが、アンチも発生し始めました。この時はまだアンケートを配っていて、打ち上げの時なんかにメンバー皆で読み回すわけすが…。一度、凄くお客さんが入ったイベントで、盛り上がって、僕等がトリでアンコールまでやった日のこと。

例によって打ち上げでアンケートをパラパラ見ていると、裏面にまでびっしり僕への悪口が書かれたアンケートがありました。これはだいぶショックでしたね。

僕の持論でボーカルはだいたい、ジャンキーかアル中かゲイか鬱ってのがあるんですが、この時期くらいからだんだん僕は鬱になっていった気がします。ていうか、今も書きながら当時を思い出して暗くなってきたところです(笑)

そんなこんなでバンドが忙しくなっていき、ひろのちゃん(彼女)とはいつの間にか別れてました。もう彼女とかどうでもええわって感じでしたね。適当に近寄ってくるメンヘラと騎乗位でセックスをする時代が始まりました(笑)好きになる子ができても、彼女作ってる場合じゃないと思ってたので、気持ちを抑え込んでた気がします。

この時は顔をベタベタになるまで舐められたり、僕がお腹に出した精子を奇声を発しながら身体全体に塗り広げる女とか、凄いのとばっかヤってましたね(笑)ライブ会場で初対面の女にあなたの子供が欲しいんですと迫られたり…。いやまぁでもメンヘラってたまに凄い美人とかいるのよ(笑)

この辺の時期にメンバーの知り合いからのツテで、初めて地元の地下アイドルに曲を提供して、少しばかりのお小遣いをもらいました。

初めての全国流通盤のレコーディングに入るにあたり、一つクリアしなければいけない問題がありました。

当初、部活の後輩達と始めたこのバンド。どんどんいなくなったと先月書きましたが、ベースの高見君だけは残ってました。学生時代はいつも一緒にいて一番遊んだ一個下の後輩です。

当然下手だったんだけど、凄く性格の良いイケメンで、ファンからの一番人気でした。桑名から通って、ベースの真ん前に陣取る女子高生グループとかいましたね。

しかし、ちゃんとしたCDを作るとなると彼のプレイでは駄目なのです。僕の歌やギターだってプロ目線だとめちゃんこ下手なんだけど、

そもそも僕の曲を演るバンドなんで、そこはもうしょうがない。でもだからこそ、バックは上手くないといけない…。

バンド内の空気も変になっていき、日比君いつクビにするの?的な感じになっていきます。けどなかなか言えない。でも言わなきゃいけない。そんな悶々とした日々が過ぎていったある日。とあるライブの撤収後に高見君から話があると呼び出され、「俺、辞めるわ」と言われました。僕は「うん、ごめん」としか返せなかったです。

自分が泥を被らずに言わせてしまったという自責の念。

打ち上げ会場に1人でトボトボ歩いて向かう途中、高見君のことが大好きだった初期からの女性スタッフのうっしーが号泣しながら僕の方に歩いてきて、「これで売れなかったら絶対許さないんだから!」と叫びました。僕は言葉が出なかったです。

僕の好きなユニコーンの曲で「すばらしい日々」という曲があるのですが、その中に「すべてを捨てて僕は生きてる」という歌詞があり、

あれをカラオケで歌うといつもこの時のことを思い出してしまいます。えーと、高見君は現在、車道でイタリアンのお店を経営しています。こないだ行ったら凄く美味しかったです。

ベースはレコーディングだけCHOKOというバンドのボーカルギター、あっくんがやってくれることになりました。この時、一番つるんでたバンド友達ですね。彼は先にインディーデビューしていたので、色々アドバイスもしてくれました。

あっくんが主催するクアトロのイベントに僕等が出ることになり、

ある日そのイベントに呼んだ東京の友達バンドが今日名古屋にライブで来てるから観に行こうぜとなり、鶴舞デイトリップで初めて会ったのがエルレガーデン。客は僕等含めて5人。ステージでずっと下を向いて演奏してるエルレの4人。終演後にクアトロでは客ガッツリ入れるから、明るくいこうぜとボーカルの細美君と話したのを覚えてます。

その数ヶ月後にイベントで会った時にはもう別バンドかってくらい、

良くなってましたね。大きいレーベルがついて売る気マンマンって感じで。細美君とはその後も仲良くさせてもらいました。僕主催のDJイベントにシークレットゲストで出てくれたり。

エルレガーデンは売れるために集まったバンドで、メンバー同士も敬語で喋ってたんですよ。だけど細美君はそれが嫌で、友達同士で組んでるバンドを凄く羨ましがってました。だから名古屋に来た時は、

よく遊びに行こうと誘われましたね。「俺一人だもん」が口癖で。

そんなこんなで1stのCDレコーディングです。

今までの曲全てからの選曲ですが、レーベルから「ロックンロール」以外に1曲目になる推し曲ないか?と聞かれました。(CD店の視聴機では1曲目で判断されることが多いので、1曲目にラジオとかで流す推し曲を持ってくることが多いのです。で、「ロックンロール」でも良いんだけど、ちょっとアップテンポなのないの?的なことですね)

これはレーベルからの発注だと感じた僕は、そんなもんいくらでも作れるわと半ギレで「THEY」という曲を3日で作りました。

別に俺の好みじゃないけど、こうゆうのでしょ?って感じで。

「THEY」を訳すと「あいつら」。つまり2ちゃんで嘘ばっか書いてる奴ら、ライブのアンケートで悪口を書いてくる奴ら、なんか推し曲がどうとか言ってくるレーベルの奴ら。そいつら全員に対して「知るか、ボケー!!」とキレるキレソングですね(笑)

実際、この曲がラジオでかかったり、着うたになったりしたので、キレて良かったです(笑)

レコーディングでは凄く高い楽器が必要なんですが、部活の先輩後輩で何人か高いギターを持ってる人がいたので、借りまくりましたね。

まぁ主に医学部の人ですよ。1本50万オーバーだからね。そんなもん持ってないっちゅうの。一応、自分の15万くらいのギターも持っていったけどさ。笑われたもん、エンジニアの人に。

で、次の問題は僕が下手過ぎる問題でした。

ベーシストとしてはまぁまぁ上手だった僕ですが、ボーカルギターになってまだ2~3年。とてもCDにできるレベルではないのです。

色んなギターフレーズを思いついてもちゃんと弾けないという…。

弾けてるつもりがプレイバックを流すと弾けてないんです。当時はプロトゥールズという、レコーディングで使うパソコンソフトの出始めでした。開き直った僕はもう全部パソコン上で貼りましょうと提案します。

練習してよと呆れるメンバー&スタッフ。爆笑するエンジニアの佐々木さん。そんなバンド、当時はなかったので。

佐々木さん「こだわりとかプライドとかないの?」

僕「そんなもんは全然ないです。良いモノを作りたいだけです。」

佐々木さん「いいじゃん。オッケー任せて。やりたいこと何でも言ってよ。」

実は佐々木さんは普段からアイドルとかCMの仕事を数多くこなしており、パソコンでのエディット(編集作業)は得意分野だったのです。つまりは僕がアイドル方式のレコーディングを選択したということですけど(笑)

その後、佐々木さんとはミュージシャン活動を停止するまで、全てのバンドのレコーディング、仕事のレコーディングをお願いすることになりました。毎回、バンドメンバーの録音1日、僕と佐々木さんの作業1週間みたいな感じでした。2人共後期ビートルズが大好きだったので、そうゆうスタジオ作業で作ってくのが好きだったんですね。

まずはギターフレーズを一音一音弾いて、それをパソコンの画面上に貼っていきます。当然ながらめちゃ上手いです(笑)

ボーカルではまったく自分が作ったメロディを歌えてないことが判明。僕が鍵盤でこの音です、もっとこうゆう感じで下がっていきますとか説明しながら、パソコン上で曲線になってる僕が歌ったメロディを佐々木さんがイジります。うん。最高に良い曲ばっかりや。俺、天才(笑)

次にハモり。僕はハモりが大好きなくせに大の苦手ときたもんだ。

佐々木さんに上のパターンくださいと言って、2~3パターン出してもらう。僕がそこから選ぶ。そして佐々木さんが僕が歌いやすいように主メロの僕の声を消す。僕はブースに入り、パソコン上で作られた僕の声のハモリラインを聞きながら、それに合わせて歌う。消した主メロを復活させてそれと合わせる。これ、僕が発明した日比式コーラスレコーディング(笑)見に来たバンド友達は皆大爆笑。

けどだいぶ後に佐々木さんが言ってたのが、「こないだ宇多田ヒカルのエンジニアと喋る機会があったんだけどさ。宇多田ヒカルのコーラスレコーディング、日比君と一緒みたいだよ。」らしいです。良かった~(笑)

さ、盤は出来上がりました。1000枚プレスしました。経費は60万くらい。レーベルが半分出す案もあったけど、そこは拒否。ロクなことにならないのを知ってたので、バンドで工面しました。

デザインをスパイマスター(今はもうない東海地区限定のファッション&音楽雑誌)のモトアキ、ジャケットの絵を当時ヤングサンデーに隔週くらいで連載してた人にお願いしました。皆、友達の友達でしたが、ドラクエのパーティが増えてくみたいな感じで楽しかったです。この後、僕はスパイマスターに出まくることになりました。

次に全国のタワーレコードのバイヤーにサンプルと紙資料を送ります。新人ですから、なんとか気に入ってもらって入荷してもらわないと

全国で売る意味がなくなるし、ひょっとしたら視聴機にも入れてもらえるかもしれません。僕はこの時ひらめいたのです。売れてるバンドの友達に推薦文をもらおうと。それもなるだけファン層が被ってるバンドが良いはず。すぐにランクヘッドの小高君に電話して書いてもらい、CDの帯にもそれを載せました。

ちょうどランクヘッドが全国区でガーッと行き始めた時で、おかげで新人としては異例の350枚の発注が全国から届きました。この時は全国にタワーレコードは50店舗くらいだったと思います。

僕の年齢は29歳になってました。

ランクヘッドともよく一緒にライブをやりました。愛媛出身のおぼこい子達です。当時からのマネージャーのボビーさんが3年くらい前に脳梗塞で亡くなったんです。

この時期に対バンしてたつばきの一色君もちょっと前に亡くなったし、なんか人って死ぬんだな~って最近思わされますね。一色君はラインニュースになってました。

発売後も好調で、なぜか仙台でいっぱい売れたり、心斎橋のタワレコの店内でヘビロテされてたり、全国からPOPを作りたいから5000円入金してもらえますか?の連絡が来たり。そう、あのPOPは店員さん達が自主的に5000円の予算で作ってるんです。愛ですね。愛。

タワーレコードの週間インディーチャートにも入り、結局、最終売上枚数は2300枚でした。そんなある日、バンドの掲示板を覗くとある書き込みが。

名前 カワイシンスケ
本文 み~つけた!元気?

そう。僕がトンズラしたバンド。サンセットレコードのギターのカワイ君です。その時はドラムのマキちゃんと脱退して九龍というバンドをやっていました。

ついにこの時が来たか…。僕はとりあえず次の九龍のライブに顔を出すと返事しました。回りには元サンセットレコードってバレてたし、

名古屋で活動してたらいつかはバッティングするとは思ってたけど、いざこの時が来ると心臓のドキドキが止まらない。そしてチケットを買った九龍のライブ当日。僕は関係者に軽めの挨拶をすませて、すぐに楽屋に向かいました。

2人を見つけると開口一番、土下座して「すみませんでしたー!!」2人はゲラゲラ笑って、もういいよ~と許してくれました。そしてサンセットレコードは僕が抜けた後にソニー傘下のインディレーベルから一枚出した後に、ポニーキャニオンに移籍。

その後に2人は脱退して九龍結成。ボーカルのスガイ君は就職して、マイペースに活動してるなどの後日談を聞きました。で、最後にマキちゃんがボソっと言ったのが「でもね、日比君がいたらどうなってたかな~ってたまに思うんだよ?」

もう何も言えなかったです。できることは何でもして償おうと思いました。その2年後、メジャー志向の強かった2人のために僕が紹介した人脈で九龍はコロンビアからメジャーデビューします。

そんなことで償えてるとは思えなかったけど。CDの全国発売が決まった後くらいでしょうか。レーベル経由でとある冊子が僕のところに届きます。タイトルは「ロッキンオンは商業誌です」。内容は、ウチに広告を載せてくれればインタビューをする、いっぱい広告を載せてくれればフェスにも出す、というもはや開き直り以外の何物でもないものでした。当然スルーです。一番安いページでも30万。こんなもんに予算なんて使えるかー。

またこの時期はタワーレコードのバイヤー達に配ったサンプルと紙資料を全国のレーベルにも送ったので、連日僕の携帯に連絡がありました。大体が上京しないのか?で、後は他のデモ音源も送ってくれとか、ライブ映像送ってくれとか。

で、それの対応でメンバー間で揉めに揉めます。上京=メジャーデビューなんだけど、そもそも僕はもう上京する気がないし(もう懲りてる)、メジャー進出自体にも興味がない。

作家としてメジャーの仕事をするのは良いけど、自分のバンドはインディで行きたかったんですね。ちょうどモンパチが売れたり、矢沢永吉がインディーズになって話題になった頃、脱メジャー志向みたいな時代の始まりで、メジャー進出はダサいと思ってました。

活動が窮屈になることや、経済的にも貧乏になるのがわかってたし。でもそれをいくら他のメンバーに話してもわかってもらえない。僕も意地になってミーティングとかで「俺はMステよりタモリ倶楽部に出たいんじゃ!」とかよく言ってましたわ(笑)

そんな僕等を見かねてか、前から知ってた名古屋ビクターのディレクターが拾ってくれて、すぐには上京しなくても良いという条件でビクター内のインディレーベル「スパークル」との契約が決まりました。

あ、そう言えばこの頃一瞬彼女いました。キーボードの河野君がバックメンバーをやってた10個下のアイドルです(笑)僕等のCDを聴いてめちゃ気に入ってくれて、会いたいと言われ、1回ライブを観に行った後にコクられました。

その娘はもう事務所もあって、上京も決まってたのですぐに遠距離になって、2か月くらいで別れました。テレビ番組の「銭金」とかに出てけっこう人気ありましたね。その娘のスレッドが2ちゃんにあったりして。ちさちゃんね。この実名はちょっとアウトかもしれないです(笑)ちさは別れてからも関東でのライブには絶対来てくれました。

千葉→渋谷→横浜とか3日連続で来てたもんな。ありがたかったです。ちさ関連ではちょっと面白い事があって、「銭金」で人気になった後、CDデビューする際にちさは僕に曲を書いて欲しくて事務所に提案したんですけど、SOPHIAの松岡君に横取りされたのでした(笑)

ネームバリューで負けましたね。ちさは現在、保険のセールスをやってます。ちさはアイドルだったので当然可愛かったのですが、最近思うのがブスだけど好きになった子の方がなかなか時間の経過で傷が癒えないというか、思い出にならないな、ということです。

僕は酔っぱらうとしばしばそうゆう女の子の事を熱く語ってしまうのですが、だいたい皆、「日比君がそこまで言うならさぞ美人だったんだね~。」とか言うのです。で、僕が否定すると、巨乳なの?若いの?

仕事何?とか聞かれます。それに全部答えると、「ブスで貧乳でそんなに若くもないフリーター」。これに収束してしまうパターンもあり、

いやそうじゃないんだ、あの娘の良いところはもっと別なところにあってと言いたいんだけど、じゃあ何かと聞かれれば適当な言葉も見つからないので、僕は何も言えなくなります。こうゆうのないっすか?

ちょっと話が脱線しました。

そんなこんなで下北、大阪、千葉、横浜でもライブ活動開始。

名古屋のライブでも大きなイベントだと、東京からのお客さんとか出てきました。プレイガイドで売れたり。

そういえば1回、横浜のライブ会場で出会った子を名古屋までお持ち帰りしたことがありました。メンバー&スタッフがいる機材車に乗せて。皆ドン引きでしたね笑)

また、専門学校での非常勤講師、楽曲提供、レコーディングのディレクションの仕事が増えてきて、バイトを辞めても生活できるようになりました。それにより、麻雀の時間が増えただけですが(笑)

ツアーの後に桜山に送ってもらって、家に帰る前にセブン行ってましたね(笑)
インタビューをして原稿を書くライターの仕事もこの時くらいから。

これは全然儲からないんだけど、好きなバンドのサンプル貰えるし、仲良くなれるしで楽しかったです。もう僕30歳になってました。

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