日比的思考


日比的思考~

第59回 日比的人生を振り返るpart4

拝啓名古屋&背景東京編

歳とると味覚が変わるとはよく言うもので、僕もよく「豆腐が年々美味しくなるよね!」などと周りに言ったりしています。実際、夏はほぼ毎日冷奴を食べたりするんですが、さらに最近思ってるのは、焼肉とか鰻のタレあるじゃないですか?

茶色いやつ。あれ、もう無理(笑)もちろん、肉や鰻は大好きなんですが、タレが無理。焼き鳥も同様です。たまに八事の若い子を焼肉に連れてくと、タレだけでライス食べてますけどね(笑)おっさんになると何で薄味志向になるのか?ちょっと気になります。

なんか最近個人で経営してるオーガニックです的な手作りパン屋、増えすぎじゃないですか?あれも一体何なんだろうな。そんな儲からないはずだけど。因みに僕は三重にあるドミニク・ドューセというパン屋が大好きです。

さて、人生を振り返るか。えーと前回は事務所決まったのに半年留年しちゃったところまででした。で、半年後に上京します。もう25歳になってました。住んだのは狛江市という世田谷のはずれでした。そして付き合ってた

なっちゃんとは遠距離恋愛です。家賃は6万円でしたが、ドアの鍵が壊れかけてるようなボロアパートでしたね。で、初日から新聞屋さんの勧誘が凄まじく、もはや完全なるヤ〇ザでした。無視してると

ドアの向こうからめちゃくちゃ怒鳴り散らしてくるんですわ。あれは怖かったなー。事務所からの給料は月8万円だったので、家賃と光熱費は親が払ってましたね。これはもう本当に色々で、バイトばっかりやってる奴もいれば、月に70万仕送りもらってる

奴もいました。そいつは18万の部屋に住んでましたけどね(笑)めっちゃ機材持ってたから、皆から重宝されてましたよ。で、僕は毎日家で曲を作るか、渋谷の事務所に行くか、新宿でスロット打つか、たま~に小田急沿線で0.5の雀荘行くか、たま~に下北沢で他のミュージシャン達と飲むかって感じでした。1回、2丁目のゲイバーにも連れていってもらって、凄い楽しかったですね。六本木のクラブとか。

新宿に小島武夫常駐って書いてある雀荘があったんですが、2.0だったんでひよった覚えがあります。そんなお金なかったからね、この時は。東京に行ってまずびっくりしたのは電車です。朝とかすぐにストップするんです。誰かが飛び降りるもんで。さらに、これは有名ですが混み方が半端ない。朝だけかと思ってたんですが、最終もエグいん

ですよ。皆飲んでるもんで、すげー酒臭いし。1回満員電車の中で、飲んでたであろうOL風の女性が噴きゲロをかましてるところに遭遇した時には、えらい所に来てしまったなーと思いましたね。まー友達もいませんから、けっこう孤独に過ごしていた気がします。

ただ最初の頃はまだ自分を天才だと思ってましたので(笑)、そんなことはどーでもいいって感じもありました。そんなある日、事務所に行った時のこと。テーブルの上に「キリンジ、エイリアンズ」と書いてあるデモテープが置いてありました。

そう、前々回のこのコラムの冒頭に出てきた、LINEのCMソングになってるアレです。事務所の一押しのユニットであるのは知ってたので、近くにあったラジカセでどんなんだろ?と聴いてみたところ…。いやーもう比喩ではなく、膝から崩れ落ちましたね。紛れもなく天才。新しい。音楽を作る身として初めて感じる完全敗北。

今まで自分も周りも自分を天才だと信じて疑わなかったし、この時も聴くまではどうせ自分の方が勝ってると思ってたのに…。

洋楽&邦楽の音楽の知識は豊富にあって、この時はドラゴンアッシュとか椎名林檎が出始めくらいでしたが、彼等を見てもまぁ凄いけど、

お前らとはまた違う新しくてカッコ良いPOPミュージックを俺は作れるから、ちょっと待っとけや、すぐにそこまで行ってやるから。

なんて思ってたのですが、キリンジには敗北感しかなかったです。絶対に勝てない、この人たちは天才で、僕は凡人であると。で、当たり前ですが凄い人は何人もいるんです。東京のメジャー界だし、この時はCDが売れまくってる時代だからメーカーも才能ある人を集めまくってたし。

凡人は凡人なりにやるしかないと腹をくくり、自分が勝負できることで勝負しようと曲を作っていきました。アーティストの人の曲プレゼンに僕の曲が出されてることも何回かありましたが、まぁ当然なかなか通過しないです。浜崎あゆみに提供したいとか言ってたな。

ちょっと脱線しますけど、最近あの人「しゃべくり007」とかバラエティにけっこう出るじゃないですか?叶姉妹とかGACKTみたいだなと思ったのは僕だけでしょうか?もう完全にあの枠って感じで切なかったです。

1回だけ藤井フミヤさんのアルバム曲に採用されたことがあります。その話を聞いた時は、お、印税生活スタートやんなどとパーセンテージも全く知らないくせに喜びましたが、ここでまたもや業界の洗礼が…。

僕みたいなペーペーの作家は印税ではなく、買い取りだと言うのです。

もっと言うと、印税を管理してるのが音楽出版社というところなんですが、そこに提出する作曲クレジットと実際のCDのクレジットは違ってもかまわない。というか違うことが多い。そして今回のお前のパターンも当然ながらそれだと。

えっと…。そんなんアリですか?なので皆さん、若い女の子のシンガーが作詞してますとか言ってるやつ。あれ作ってないからねー。

もうこんな話ゴロゴロしててですね。バンプのアルバムでドラム叩いたよとかB`zのあの曲、作ったの俺、とか。(←これ、実際にそいつのデモテープ聴きました、B`zと同じ事務所でした)

僕が10代の時に憧れてたパンクバンド、大人なんて糞くらえって感じでカッコ良かったんだけど、大人達が全部企画してコントロールしてたって話を聞いたりね。

ていうか、こんな話載せても大丈夫なんでしょうか(笑?
さすがに黒塗りじゃない?これ。音楽業界に比べたら、雀荘なんて全然ブラックじゃないです、ホントに。

そうこうしてるうちに思ったのです。全然これ楽しくない!事務所主導でバンドも組んでスタジオ入ったりしましたが、全然楽しくない!これが仕事、業界だと言われればそうだけど、なんかモチベーションが下がってきたのです。

ただでさえ、毎日彼女や親や名古屋の友人達から「早く帰っておいで」電話がかかってくるし。あー名古屋帰りてーなと思い始めました。彼女、毎日泣いてたしね。あ、この時の女の子関係はいたって大人しいものです。下北沢の居酒屋で知り合った娘とか。そんな感じ。

まー演劇とかで上京してくる娘も多いから、そうゆう人同士で慰め合うよね(笑)この娘の喘ぎ声が見た目は華奢なのに、低音が効いてて地響きみたいだったって話はいいですか(笑? あーそうですか。

省略しますね(笑)東京生活は約1年半で終了しました。名古屋に戻ってからは1ヶ月くらいは毎日、部活の後輩達と遊んだり、なっちゃんと会ったりしてました。しかしなっちゃんの様子がどこかおかしいのです。

僕が何回も何かあった?と聞いたところ、ついにそれについて口を開きました。彼女曰く…。遠距離の時に寂しくなって愛人みたいな男ができたんだけど、僕が帰ってくることになったので別れようと言ったらストーカーになったと。合鍵を勝手に作られて、そいつの友達と一緒に来て部屋をめちゃくちゃにされたり、物を盗られたりしてると。

で、それで鬱病みたいになって病院で薬をもらってると。いやもうブチ切れましたよ。だけど、とりあえずその男がどこのどいつか教えろと言っても、絶対に教えてくれない。今から思えば、知ってる奴だったかもしれないですね。

後、普通に僕の事を隠して付き合ってたのかもしれない。何とも言えないです。毎日僕に寂しい寂しいと泣きながら電話してきた事以外は、確かな事は何もないって感じ。で、そんな状態のなっちゃんを心配した大阪に住んでたお姉ちゃんが引き取りにきたのです。その後、少し遠距離になった後に別れました。

さて、話は変わって、この時期に僕はスロットをきっぱり止めました。理由は勝てなくなったから。波が荒くなって技術介入の要素がなくなったんです。別にスロット自体が好きだったわけではなく、ただのお小遣い稼ぎだったので、すんなり止めれましたね。

で、どうなったかというと麻雀の頻度がめちゃ上がるという(笑)そろそろ就職しようと思ってましたが、セブンに来たり部室で後輩達とセットしたりっていう毎日でした。しかもそんなある日。いつも一緒に遊んでた後輩達が「日比君の曲がけっこうあるからそれでスタジオ入ろうよ。」とか言い出したのです。

俺からしてみたら「へ?」って感じです。だって僕のライブを観に来てた奴らですよ。一緒に音楽をやろうなんて微塵も思った事がない。だって才能なんて全くないから(笑)

まぁでも遊びでそうゆうのも楽しそうだなと、適当に5~6人で集まってはスタジオ練習するようになったのです。パートとかも適当で。

やっぱり天才だね、良い曲だねとか言われつつ(笑)、当人はもう浮かれてませんでしたけど。そしたらなんとあいつら、「ライブハウスに出てみたい。」とかぬかし始めたのです。え~?ホントに~?

で、まぁ何となく就職はまだいいか的な空気になりますわな(笑)とりあえずバイトするかと。従妹がこの時にコンビニを開業したのでそこの手伝いとか、新幹線の掃除とかやってました。

あ、本山にあったフリー雀荘でもちょこっと働いてましたね。名前は伏せますが、えー知也さんが骨折したお店です(爆)この話を後で聞いた時はめちゃ笑いました。何回聞いても最高な

エピソードです。で、ライブハウスに出演するにあたりバンド名が必要ということになり、「アフターザゴールドラッシュ」という名前をつけました。ニールヤングという人のアルバムの名前なんですが、これは良かったです。お陰でおじさん達にめちゃ可愛がられましたから。

この頃(26~28歳くらい)はひろのちゃんという部活のだいぶ下の後輩と付き合ってました。僕の長い友達は「日比君、(結婚するなら)あの娘だったよね~」とかいまだに言ってますね(笑)まぁ礼儀正しく、普通に良い子といった感じでした。

でもこの娘は性欲が強くてですね、初めて正常位で腰を振る女の存在を知ったのでした。いや、あれはマジで最高ですよ(笑)後にアラフォー人妻とかでは何人も出会うんですけどね。

女性はエッチで男を落としたいなら覚えておいて損はないはず、と思いますね。後この娘は手を搾るように…ってもう止めときますね、はい。(ろくろを回すように…)

とりあえずいっぱいお客さんを動員しなくちゃ存在感を出せない、ライブハウスに言う事聞いてもらえないと思った僕は部活の後輩&先輩達を総動員させて、最初の1年は毎月70人以上のお客さんを呼んでました。麻雀の勝ち分で無理やり買わせたりね(笑)黙って金出して、

そこに突っ立ってろとか言ってましたね(笑)芸風変わらんな~。で、やってくうちに僕がボーカルギターになり、どんどん部活の後輩からガチでやってるバンドマンにメンバーチェンジしていきました。

やっぱりやり出すとガーッとやってしまうので、オリジナルメンバー達は「ごめん、俺無理だわ。」となってしまうのです。その頃はCD-Rで音源をライブ会場で売っていて、少しはファンもついたし、曲が良いねとは言われてたけど、そんなには盛り上がってなかったです。ライブ会場もほぼ友達メインみたいな感じで。

そんなこんなでとある対バンイベントで、楽屋で準備してる時のこと。向こうから女の子がスタスタやって来ました。

女「日比君、久しぶり!」

僕「…(誰だこいつ、対バンでこんな娘いたっけな。)」

女「元気だった?」

僕「…(うわ、俺こいつ知ってるわ。誰だっけ?誰だっけ?誰だっけ?)」

女「あ、もう忘れちゃったんだ。ひどーい。」

僕「スージー!!!」

はい、大学入ったばっかりの頃、友達ん家のベランダでヤッた娘です。えーと、対バンの「つぼ」というその時の名古屋でブイブイ言わせてたバンドのベーシストの彼女でした(笑)世の中狭い、狭過ぎる。

なんかそのベランダの住人の友達から、僕の事聞いてたみたいです。スージー「ベランダでヤッたよね~(大きな声)」おい、頼むから静かにしてくれよ!

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